シンガポール:High school 生活

主人がシンガポールに赴任する時、娘は高校2年生、息子は中学3年生。
一緒に連れて行くかどうか親も子も悩みました。娘は行って学年を1年落として卒業したとしても帰国子女枠で大学受験をできるかどうか、また中学からのお友達と別れたくないし、みんなと卒業したいなど気持ちは揺らぎ、悩んだ末自分で日本に残る事を決断しました。一方、息子は息子で難しい年齢、勿論日本に残りたい気持ちは強い。海外赴任時に子供たちが高学年になっている家庭では、連れて行くべきかどうするか必ず直面する悩み事であると思います。わが家では主人と息子でかなりの時間を取って話し合いを行い、息子自身で判断するように持って行き、最終的に自らの判断でシンガポール行きを決めました。子供たちにとっては将来の方向性を左右する重大な岐路、親が決めたから、などと逃げ口上を言わせないように、うまく持っていくよう家族でよく話し合う事をお勧めします。
シンガポールでは日本人学校は中学までしかないので息子はアメリカンスクールに通うこととなりました。高校性の英語はとても難しく、小さい頃のアメリカ生活の経験があるとはいえ、最初はしゃべる事も、聞く事も大変でしたし、ESLクラスを期間以内に終了しないと転校させられてしまうプレッシャーの中、本人は必死でした。ESLの先生にも随分と助けていただきました。幼児だったとはいえ、4年半過ごしたアメリカでの生活で聞いた英語は頭、耳に残っているものなのですね。当人は何を話しかけられているのか詳細にはわからないことが、だんだんと聞き取れるようになっていきました。「習うより慣れろ」の格言通りです。耳から入る英語がだんだんわかるようになり、無事ESLのクラスから普通授業に入れるようになり、放課後のスポーツ活動にも積極的に参加するようになりました。
アメリカンスクールの放課後のスポーツ活動は3~4か月ごとに種目を変え、そのスポーツにエントリーした後、技能に応じて1軍、2軍と分かれ1軍チームは他の学校との練習試合をするようになります。言葉の壁を克服した息子の次なる目標は1軍に入り、活躍する事、英語という壁を越えた自信が相乗効果となり、日本で実力を発揮していたテニスのみならず、サッカーやバドミントンもどんどん力を発揮して、学友とのスポーツ活動のみならず私的な交流にも自信を深めていきました。1軍はまた海外のInternational Schoolとの試合をするために遠征しました。それには親も行かれる時には付いて行って応援しました。その試合の後の表彰式での息子たちの晴れやかな顔が本当に印象に残っています。
日本でいう修学旅行も世界各国へ行くコースがあり、楽しんだと思います。

シンガポールへ行く事を非常にためらっていた息子ですが、シンガポールでの4年間を終えて帰国の際には、涙を流しながら別れを惜しんでいたことが強く印象に残っております。本人に決断させ、自らの意思でシンガポールに連れて行ったこと、シンガポール生活終了後の方向性についても議論し、貴重な経験を大学にも生かすため、アメリカあるいはヨーロッパの大学を目指すのはどうか、と話し合ったこともありましたが、本人の決断は日本。これまた、息子自身の決断ですからそれを尊重しての現在です。「決断するは我にあり」を十分に学ばせることが出来たシンガポール時代、本原稿をまとめながら改めて思い出しております。

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