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ジャカルタでの習い事
私のジャカルタ事始めは、邦人対象のインドネシア語語学学校初心者コースへの通学から始まりました。週に3回、午前中の授業が終わると、学校近くで入れそうな(清潔そうな)レストランを見つけて、クラスメイトとランチするのが楽しみでした。はじめは洋食や和食中心でしたが、地元の郷土料理に足を延ばすようになる頃には、それぞれジャカルタの時間を楽しむ余裕が出てきたように思います。インドネシア語検定の合格を目指して上級コースへ進む仲間もいましたが、私は1年足らずで語学学校をやめ、ほかの習い事を始めました。
ヨガやテニスやフラダンスは、住んでいるアパートメントの施設で参加できました。敷地内にあっていつでも入れるプールに、水着姿が照れくさくて、もっぱら子供と夫しか利用しなかったことは、今になって悔やまれますが、車社会で歩くことがないジャカルタで、体力をキープするため、ゴルフや乗馬も楽しみました。
しかし、元来、私はインドア気質で、ジャカルタでも熱中したのは、布花やバティック、ペルガマーノでした。どのレッスンも、先生が2週間に1度のペースでアパートまで来てくださり、会場は生徒の自宅を持ち回りで提供し、レッスン後は賑やかなお茶会となりました。
どの分野も細かく単調に見える作業ですが、おもしろさにはまり、次回のレッスン日まで、子どもが学校から帰ってくるまでの間、例えば布花の細かなパーツを何百枚も型紙から薄い布に書き写し、切り取り、染め、貼り付け、成形する作業に、ひたすら没頭し、あっという間に夕刻になりました。
一年中、真夏の気候の現地の生活に、四季の年中行事の彩りを加えたくて、桃の節句、鯉のぼり、七夕、ハロウィン、クリスマスと、バティックで習った壁掛けがどんどん増えていき、ペルガマーノではお正月飾りの額縁を制作しました。
駐在を終えた今、当時の習い事はどれもやっていません。ゴルフの代わりに1駅分歩く生活です。よく「夢のような生活だった」と、お抱えドライバーやメイドがいたジャカルタ時代を振り返る方がいますが、まことに同感です。自分のこれまでの人生の中で、あれほど自分の満足のためだけに時間を費やすことが許された時代はありません。常夏の地で作り続けた花や壁掛けは、残念ながら、年々、色あせていきますが、ジャカルタでの幸福な時間は、記憶の中で鮮やかです。
相談員T