top of page

「海外で生活してよかった!こと」  ~ エジプト・タイ・イギリス編

生まれ育った日本を離れ、異国の地で生活することは挑戦、冒険の連続でした。

カイロ、バンコク、2回のロンドンと英国の地方都市、海外生活は通算15年に及びました。文化も歴史も言語も異なる3つの国での生活は単なる滞在ではなく家族で支えあい共に成長する貴重な時間となりました。

初めての駐在地はカイロ。街に足を踏み入れた瞬間、凄まじい車のクラクションの嵐、スパイスと排気ガスが混ざり合った独特の匂い。そして、毎日5回大音量で鳴り響くモスクからのアザーン(礼拝)。

現地の人が一番よく使う言葉【インシャーラ=神様の御心のままにという意味】は約束の時間に遅れても、予定通りに進まない事柄もこの一言ですべてが収まる世界でした。言葉が通じない、手続きが進まない、物が壊れる。【すべてインシャーラ!】初めての海外生活では【まぁ、何とかなるさ!インシャーラ!】と笑い飛ばす逞しさ、サバイバル力、タフさが自然と身に付いていきました。カイロの生活は日本の「整然とした規則正しさ」とは真逆の場所にあり、大らかな時間でした。

微笑みの国タイでは、カイロの混沌としたエネルギーとはまた一味違うタイならではの【サバーイ=心地良い】な生活、【マイペンライ=気にしない!】の温かい人柄に触れることができました。バンコクは日本人コミュニティーが大きく日系スーパー、病院、塾やお洒落なカフェ、日本にあるものは何でも手に入り、タイ料理は美味しく日本以上に【サバーイ】な生活ができました。

滞在中にはフリーペーパーで募集していた大学の日本語講師のボランティアに挑戦し、日本の文化や言葉を熱心に学ぼうとする若いエネルギーに触れることもできました。純粋で素直なタイの大学生たちは日本語の間違いなど全く気にせず日本語を話したいという一心で、目を輝かせながら「先生!先生!」と懐いてくれました。

大学の学食で一緒にランチを楽しんだり、日本のカレーライスを食べてみたいという学生たちの為に、我が家で開いたカレーパーティーも今では懐かしい思い出です。この大学でのボランティア活動を通じて彼らと深く繋がり、とても充実した時間を過ごすことができました。

英国の生活はカイロやバンコクでは普通だったドライバーや女中さん文化はなく、家事、子供の学校や稽古事の送迎、すべてを自分の手でこなす必要があり毎日時間はあっという間に過ぎていきました。子供の送迎時、校門前で現地のママと交わす挨拶や雑談は、最初の頃は緊張もしましたが、ロンドン生活ならではの初めてのリアルな異文化体験でした。現地校で娘が最初に仲良くなったイラン人のお友達から、アートの時間に絵筆が進まない娘に「絵は心で描くものよ。」と言われ、帰宅後「どういう意味だと思う?」と私に問いかけてきました。きっと実物そっくりに上手に描こうとしている娘に、彼女はアートとは自分の好きな色を使って何を感じたかを自由に描く事!と言いたかったのだと思います。

ロンドンの現地校という世界中のバックグランドが集まる多様な文化だからこそ出会えたエピソードだと思いました。

そのイラン人家族とはお互いの家を行き来する程親しくなりました。最近、頻繁に耳にするイランのニュースを聴く度に「あの時の彼女の発言、今でも覚えているかしら?」と、思い出します。ふと本人に聞いてみたい衝動にかられますが、現在のイランではインターネットが遮断されており、その答えを受け取る術がないのがただただ残念でなりません。カイロ、バンコクの生活がドライバーや女中さんたちの現地の人々に支えられて外の世界が広がったとするなら、英国の生活は自分の足で立ち、こちらから頼っていくと必ず手を差し伸べてくれた懐の深い人々に支えられた世界だったように思います。

頼れる親戚や古い友人がすぐ近くにいない海外生活では、何事も家族で話し合い、協力して乗り越えていくしかありません。海外駐在を経験した家族は「仲良し」と言われるのは、こうした濃密な時間を家族で共に積み重ねてきたからに違いありません。文化の全く違う3か国を駆け抜けてきた海外生活は家族の絆と異文化体験という一生もののかけがえのない宝物となっています。        

相談員 F

​日本語講師をしていた大学構内
​タイの仏像
カイロ ピラミッドの前で
​住んでいたロンドンのフラット
​仲良くしていたイラン人家族と我が家で日本食
bottom of page